[宗派]

ロゴ 時を巡るお寺神社の旅 

The guide to exploring the shrines and temples in Shimonoseki city, Tsukuba city and surrounding areas,Japan

下関市とつくば市近郊の神社や宗派は問わないお寺を紹介をします。 掲載している寺社を全て訪問することを目指しています。

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宗派

お寺の宗派に関して記載しています。 ご参考になればお役立て下さい。
尚、詳しくはリンクページなどの文献などをご参照ください。 お寺の名前のリンクはそのお寺のホームページに繋がっています。

 

奈良仏教系()

法相宗(ほっそうしゅう)

法相宗は、中国創始の仏教の宗派の一つ。
小説「西遊記」に登場する唐代、638年インドから帰国した玄奘(げんじょう)(602年-664年)の弟子の窺基(きき)(632年-682年)が開いた宗派である。
日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、遣唐使での入唐求法僧侶により数次にわたって伝えられた。

華厳宗(けごんしゅう)

中国において、大乗仏典の代表的な華厳経を究極の経典として唐代に成立した仏教宗派。
宗祖は杜順(とじゅん)(557年-640年)、大成者は法蔵(ほうぞう)(643年-712年)。

律宗(りっしゅう)

中国では古くから戒律の研究が行われて、唐代に南山律宗を開いた道宣(どうせん)(596年-667年)が出て戒律学を大成した。
日本では道宣の孫弟子である奈良時代に渡来した唐の僧鑑真(がんじん)(688年-763年)が
日本の学問僧の要請に応じ、五回の渡航失敗と失明にもかかわらず753年来日。東大寺に入り戒壇院(かいだんいん)を設けた。
759年唐招提寺(とうしょうだいじ)を開創し、戒律研究の中心とし、日本の律宗が発足した。

聖徳宗(しょうとくしゅう)

聖徳太子(しょうとくたいし)(574年-622年)を宗祖とする日本の仏教宗派の一つであり、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺を総本山とする。
経典は、聖徳太子が撰したとされる「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」である。

北法相宗(ほっそうしゅう)

法相宗だった京都の清水寺(きよみずでら)が1965年に独立して設立された単立の一寺一宗である。

天台宗(てんだいしゅう)

天台宗は、隋の天台智者大師、智顗(ちぎ)(538年-597年)を実質的な開祖とする大乗仏教の宗派である。
日本では平安時代に最澄(さいちょう)(767年-822年))が比叡山(ひえいざん)に伝えたのが始まりである。

天台宗山門派(てんだいじもんしゅう)

伝教大師最澄が日本へ伝えた天台宗は、第3代天台座主円仁(えんにん)と第5代天台座主円珍(えんちん)の2人の巨人の登場により、
日本天台宗本山の比叡山延暦寺で2つに分かれてしまう。
比叡山は円仁派が占め、円珍派は山を去り三井寺へ入った。
これ以来、山へ残った円仁派を山門派、三井寺へ入った円珍派を寺門派と呼ぶ。

天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)

宗祖は日本平安時代の第5代天台座主の智証大師(ちしょうだいし)円珍(えんちん)(814年-891年)。
総本山は長等山園城寺(ながらさん おんじょうじ)三井寺(みいでら))(滋賀県大津市)。

天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)

西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市坂本にある仏教寺院。天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山である。
天台真盛宗の宗祖である真盛(しんせい)(1443年-1495年)が入寺してから栄えた。

天台宗玄清法流(げんせいほうりゅう)

臨江山成就院(りんこうざんじょうじゅいん)は785年開祖玄清法印(げんせいほういん)が琵琶を弾じて毒蛇を退散させた法徳により、
伝教大師(最澄)が788年、 法眼(ほうげん)に推挙し成就院の称号を与えたことに始まると伝えられる。

和宗(わしゅう)

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区にある寺院。
第二次世界大戦頃までは長く天台宗に属していた時期もあったが、日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、
「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、
1946年に和宗総本山として独立している。

粉河観音宗(こかわかんのんしゅう)

粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある天台宗系の粉河観音宗総本山。
本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は770年、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。

本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)

日本の修験道の中心寺院の1つである聖護院(しょうごいん)を総本山とする宗派で天台寺門宗から1957年に独立して設立した宗派である。

羽黒山修験本宗(はぐろさんしゅげんほんしゅう)

羽黒派修験は、真言宗当山派、天台宗本山派の2派に収斂していった修験道2派のいずれにも属さず、古くからの修験道と、土着の月山の祖霊信仰が結びついた独自の修験である。
荒沢寺(こうたくじ)は、山形県鶴岡市羽黒町にある寺院で羽黒山修験本宗の本山である

金峯山修験本宗(きんぷせんしゅげんほんしゅう)

金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町にある天台宗単立の寺院で、修験道の本山である。
本尊は蔵王権現、開基(創立者)は役小角(えんのおづぬ)と伝える。

真言宗(しんごんしゅう)

真言宗は、空海(くうかい)(弘法大師)(774年-835年)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。
空海が入唐(にっとう)して、長安の青龍寺(せいりゅうじ)東塔院の恵果(けいか)から大日・金剛頂両部の密教を授かり、
帰国後に独自の立場から真言宗を開いた。
京都・高雄山寺(たかおさんじ)に住し、その後、高野山(こうやさん)を修行の道場として開創し、
根本道場として東寺(教王護国寺)を給預(きゅうよ)された。

高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)

総本山は高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)。 寺号の金剛峯寺の金剛峯の名称は「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祗経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」の最初の3文字(金剛峯)を引用して、空海が名付けた。

真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)

真言宗醍醐派は、古義真言宗に属する。修験道の一派、当山派の中心でもある。
醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。
山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。
古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。

東寺真言宗(とうじしんごんしゅう)

東寺真言宗は、古義真言宗に属する。総本山は教王護国寺(東寺)。宗祖は空海(弘法大師)。
なお、真言宗東寺派とは、異なる宗派である。

真言宗涌寺派(しんごんしゅうわくじは)

泉涌寺(せんようじ)は真言宗泉丹涌寺派の総本山。境内から泉が涌きだしたためにこの名前がついたと伝えられている。
楊貴妃観音は、唐の時代につくられ、現在は随時拝観ができ、美人祈願と縁結びのご利益があるとして人気がある。

真言宗山階派(しんごんしゅうやましなは)

真言宗山階派は、古義真言宗に属する。大本山は勧修寺(かしゅうじ)

真言宗善通寺派(しんごんしゅうぜんつうじは)

真言宗善通寺派は、古義真言宗に属する。総本山は善通寺(ぜんつうじ)
1931年に、真言宗小野派の宗規を改正して真言宗善通寺派と改称した。

真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)

真言宗智山派は、弘法大師空海を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。
智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。
本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)である。
智山派大本山として、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺
「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。

真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)

真言宗豊山派、新義真言宗の一派。総本山は奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)

真言律宗(しんごんりっしゅう)

真言律宗は、叡尊を宗祖とする戒律を修学する真言宗系の一派。
奈良の西大寺(さいだいじ)が総本山。僧・常騰(じょうとう)を開山(初代住職)として建立された。

真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)

真言宗御室派、古義真言宗に属する。
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院である。
山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。
「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。

真言宗石鉄派(しんごんしゅういしづちは)

役小角(えんのおづの)が石鎚山で修行を積んだ後、蔵王権現を感得し蔵王権現像を彫り、
後に病気平癒を祈願し成就した桓武天皇(782年~805年)によって七堂伽藍が建てられ金色院前神寺として開かれたと伝えられる。
前神寺(まえがみじ)は、愛媛県西条市州之内にある真言宗石鉄派総本山の寺院

真言宗中山寺派(しんごんしゅう・なかやまでらは)

中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある寺院。
真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音。

真言宗東寺派(しんごんしゅうとうじは)

1963年に、教王護国寺と真言宗東寺派が分裂したが、 後に教王護国寺を中心に活動しようとする寺院が東寺真言宗として独立した。
RUBY(正法寺,しょうぼうじ)は、京都市西京区にある真言宗東寺派の寺院。山号は法寿山。本尊は千手観音。

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)

新義真言宗は、真言宗中興の祖興教大師覚鑁(かくばん)の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜(らいゆ)に連なる。
高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。
真言宗十八本山の一つで、根来寺を総本山とする。
根来寺(ねごろじ)は和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。山号を一乗山と称し、本尊は大日如来。

中山身語正宗(なかやましんごしょうしゅう)

中山身語正宗は、八坂覚恵(やさかかくえ)を創始者とする真言宗系の新宗教である。
大本山は佐賀県三養基郡の瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)

一切宗(いっさいしゅう)

一切宗は、馬場覚心(ばばかくしん)を創始者とする真言宗系の新宗教である。
馬場覚心は、下関の四王司山>の開山を決意し、翌昭和3年に堂宇大王寺を建立した。

真如苑(しんにょえん)

真如苑は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く在家仏教教団。 真言小野流の流れを汲む一流派である(真如三昧耶流)。
伊藤真乗(いとう しんじょう)が出家し、真澄寺(しんちょうじ)を建立したところから始まる仏教教団です。

浄土宗(じょうどしゅう)

浄土宗は、日本の仏教宗旨のひとつで、法然(ほうねん)(1133年-1212年)を開祖とする。総本山は京都市東山区知恩院(ちおんいん)
1175年、法然は43歳の時に、善導撰述の『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』(『観経疏』)によって専修念仏の道に進み、
叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えをひろめた。この年が、浄土宗の立教開宗の年とされる。
法然撰述の『選択本願念仏集』が、浄土宗の根本聖典となっており、教義の集大成となっている。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依(南無)しますの意。

浄土宗捨世派(しゃせいは)

一心院(いっしんいん)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院で、浄土宗捨世派の本山。山号は群仙山。本尊は阿弥陀如来。
知恩院敷地に多くを囲まれるが、同院とは独立した別の寺である。
江戸増上寺で学んだ縁誉称念(しょうねん)が、青蓮院から寺地を下賜されて創建したもので、
称念は一派を形成し一心院流(現在の浄土宗捨世派)と称された。

西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)

西山浄土宗は、浄土宗の一派で、京都府. 長岡京市粟生「光明寺(こうみょうじ)」を本山とする宗派です。
証空(しょうくう)は、西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の祖。法然の高弟であり、のちに善恵(善慧)房と号した。

浄土宗鎮西派(ちんぜいは)

浄土宗の一流派。1230年代に法然の弟子、聖光房弁長(べんちょう)によって始められ、九州で広められた。
浄土宗における現在の主流は、鎮西派を中心とした流派で、三祖の良忠(りょうちゅう)が教団の基礎を固めました。
総本山知恩院(ちおんいん)、大本山増上寺(ぞうじょうじ)

浄土真宗(じょうどしんしゅう)

日本の仏教の宗旨のひとつで鎌倉時代初期の僧である親鸞(しんらん)(1173年-1262年)が、
師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し展開させる。
宗旨名として「浄土真宗」を用いるようになったのは親鸞の没後でその門弟たちが、教団として発展させた。

浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)

浄土真宗本願寺派は、浄土真宗の一派。
宗祖親鸞聖人の墓所である「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」を発祥とする
「本願寺」(「西本願寺(にしほんがんじ)」)を本山とする。
包括関係にある末寺数は10497か寺を数える。信者数約694万人は浄土真宗(真宗)の各宗派中最大であり、
また、仏教系の宗教法人の中でも最大数を誇っている。

真宗大谷派(しんしゅうおおたには)

真宗大谷派は、浄土真宗の宗派の1つで、宗教法人法による包括宗教法人である。
京都府京都市下京区烏丸通七条にある「真宗本廟」(通称、東本願寺(ひがしほんがんじ))を本山とし、
法人事務所を「真宗大谷派宗務所」と称し、同地に置く。

真宗高田派(しんしゅうたかだは)

栃木県真岡市高田にある専修寺(せんじゅじ)で活動した親鸞の弟子真仏(しんぶつ)を中心とする門徒がはじまりとされる。

真宗興正派(しんしゅうこうしょうは)

浄土真宗の一派で京都市下京区の興正寺を本山としている。
1876年に浄土真宗本願寺派から独立した。
興正寺(こうしょうじ)は、京都府京都市下京区にある浄土真宗の寺院。山号は円頓山(えんとんざん)。西本願寺の南隣に位置する。

真宗仏光寺派(しんしゅうぶっこうじは)

真宗佛光寺派は、浄土真宗の一派。本山は京都市下京区の「佛光寺(ぶっこうじ)」。末寺数390。
親鸞の高弟真仏(しんぶつ)を祖とし、高田門徒の系統に属する了源(りょうげん)に始まる。

真宗木辺派(しんしゅうきべは)

滋賀県野洲市の錦織寺(きんしょくじ)を本山とする浄土真宗の一派。
1876年頃に木辺派を称するようになった。
性信(しょうしん)ら関東の横曽根門徒の流れを汲む。末寺数、約200寺。

時宗(じしゅう)

時宗は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派。開祖は一遍(いっぺん)(1239年-1289年)。
総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(しょうじょうこうじ)(通称遊行寺(ゆぎょうじ))。
一遍は時衆を率いて遊行(ゆぎょう)を続け、民衆(下人や非人も含む)を賦算(ふさん)と踊り念仏とで極楽浄土へと導いた。
その教理は他力による「十一不二(じゅういちふにじゅう)」に代表される。

臨済宗(りんざいしゅう)

臨済宗は、中国禅宗五家(臨済、潙仰(いぎょう)、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(りんざいぎげん)(? - 867年)を宗祖とする。
日本には宋時代の中国に渡り学んだ栄西(えいさい)(1141年-1215年)らによって、鎌倉時代に日本に伝えられている。建仁寺(けんにんじ)の開山。
現在の日本の臨済宗は江戸時代に白隠(はくいん)(1685年-1768年)が再興したもので、臨済宗十四派は全て白隠を中興としている。

臨済宗建仁寺派(けんにんじは)

1202年(建仁2年)、中国・宋に渡って帰国した栄西により始まる。栄西は最初に禅の伝統を日本に伝えた。
大本山は京都の建仁寺(けんにんじ)

臨済宗東福寺派(とうふくじは)

1236年、宋に渡り帰国した円爾(えんに)(弁円)により京都で始まる。
本山は京都の東福寺(とうふくじ)

臨済宗建長寺派(けんちょうじは)

1253年、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が中国・宋から招いた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)により始まる。
本山は蘭渓道隆が開山した鎌倉の建長寺(けんちょうじ)

臨済宗円覚寺派(えんがくじは)

1282年 中国から招かれた無学祖元(むがくそげん)により鎌倉で始まる。
本山は鎌倉の円覚寺(えんがくじ)
禅を西洋に紹介した鈴木大拙は今北と釈宗演の両師の元に在家の居士として参禅した。
また夏目漱石も釈宗演に参じており、その経験は「門」に描かれている。

臨済宗南禅寺派(なんぜんじは)

1291年、無関普門(むかんふもん)により始まる。
本山は京都の南禅寺(なんぜんじ)

臨済宗國泰寺派(こくたいじは)

1300年頃、慈雲妙意(じうんみょうい)により始まる。
総本山は明治時代に山岡鉄舟の尽力で再興した富山県高岡市にある国泰寺(こくたいじ)

臨済宗大徳寺派(だいとくじは)

1315年、宗峰妙超により始まる。
本山は京都の大徳寺(だいとくじ)。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が復興した。

臨済宗向嶽寺派(こうがくじは)

向嶽寺派は無本覚心の弟子である孤峰覚明に師事した抜隊得勝(ばっすい とくしょう)により始まり、
抜隊は永和4年(1378年)に入甲し、康暦2年(1380年)には守護武田氏の庇護を得て塩の山に向嶽庵(向嶽寺、山梨県甲州市塩山)を築いた。
甲斐国塩山の向嶽寺(こうがくじ)を拠点とする

臨済宗妙心寺派(みょうしんじは)

1337年、関山慧玄(かんざん えげん)により始まる。
本山は京都の妙心寺(みょうしんじ)
末寺3,400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派。

臨済宗天龍寺派(てんりゅうじは)

1339年、夢窓疎石(むそう そせき)により始まる。
本山は京都嵐山の天龍寺(てんりゅうじ)

臨済宗永源寺派(えいげんじは)

1361年 寂室元光(じゃくしつげんこう)により始まる。
本山は滋賀県東近江市永源寺地区にある永源寺(えいげんじ)

臨済宗方広寺派(ほうこうじは)

1384年、無文元選(むもんげんせん)により始まる。
本山は静岡県浜松市北区引佐町奥山の方広寺(ほうこうじ)

臨済宗相国寺派(しょうこくじは)

1392年、夢窓疎石(むそう そせき)により始まる。
本山は足利義満により建立された京都の相国寺(しょうこくじ)
末寺は日本各地に約100か寺。鹿苑寺(ろくおんじ)(金閣寺)・慈照寺(じしょうじ)(銀閣寺)は当派に属する。

臨済宗佛通寺派(ぶっつうじは)

1397年、愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)により始まる。
本山は広島県三原市の佛通寺(ぶっつうじ)

臨済宗興聖寺派(こうしょうじは)

1603年、虚応円耳(こおうえんに)により始まる。
本山は京都の興聖寺(こうしょうじ)

曹洞宗(そうとうしゅう)

曹洞宗は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰(いぎょう)、雲門、法眼)の1つで
洞山良价(とうざん・りょうかい)(807年-869年)と彼の弟子である曹山本寂(そうざん・ほんじゃく)(840年-901年)を祖とする。
現在の中国では嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)(曹洞正宗)が華北地方の拠点として有名である。
日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つである。
本山は永平寺(えいへいじ)(福井県)・總持寺(そうじじ)(横浜市鶴見区)。
日本における曹洞宗は道元(どうげん)(1200年-1253年)に始まる。
鎌倉時代に宋に渡り、天童山で曹洞宗の長翁如浄(ちょうおう・にょじょう)に師事した。

黄檗宗(おうばくしゅう)

黄檗宗は、日本における仏教の宗派であり、禅宗の一つである。唐の僧・黄檗希運(おうばく きうん)(臨済義玄の師)の名に由来する。
江戸時代初期の1654年に明末清初の中国から招聘された中国臨済宗の隠元隆琦(いんげん りゅうき)(1592年-1673年)により始まる。
本山は隠元の開いた、京都府宇治市の黄檗山萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)である。

日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の宗旨の一つ。法華宗(ほっけしゅう)とも。鎌倉時代中期に日蓮(にちれん)(1222年-1282)によって興され、 かつては(天台法華宗に対し)日蓮法華宗とも称した。
身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)を総本山とする。

日蓮宗不受不施派(にちれんしゅうふじゅふせは)

日蓮を宗祖とし、日奥(にちおう)を派祖とする、日蓮門下の一派である。
妙覚寺(みょうかくじ)は、岡山県岡山市北区にある、日蓮宗不受不施派の祖山。山号は龍華山。

不受不施日蓮講門宗(ふじゅふせにちれんこうもんしゅう)

日蓮を宗祖とし、日奥を派祖とする、日蓮門下の一派である。
日向の佐土原に流刑中の日講(にっこう)と備前倉敷の津寺庵の日隆(にちりゅう)を中心とするグループが津寺派(不導師派)と呼ばれ、
岡山県岡山市北区御津鹿瀬にある本覚寺(ほんがくじ)を本山とする不受不施日蓮講門宗の系統となった。

顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)

顕本法華宗は、日蓮を宗祖とし、日什(にちじゅう)を派祖とする、法華宗系の宗派である。
妙満寺(みょうまんじ)は、京都府京都市左京区にある、顕本法華宗の総本山

本門法華宗(ほんもんほっけしゅう)

本門法華宗は、日蓮を宗祖とし、日隆(にちりゅう)を派祖とする、日蓮門下の一派である。
妙蓮寺(みょうれんじ)は、京都府京都市上京区にある、本門法華宗の大本山。山号は卯木山。

本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)

本門佛立宗は、長松清風(ながまつせいふう)によって開かれた、日蓮を宗祖と仰ぐ、法華系の一派である。
宥清寺(ゆうせいじ)は、京都市上京区にある寺院。本門仏立宗の大本山。本尊は十界大曼荼羅。

法華宗本門流(ほっけしゅうほんもんりゅう)

本門法華宗は、日蓮を宗祖とし、日隆(にちりゅう)を派祖とする、日蓮門下の一派である。
本能寺(ほんのうじ)は、京都府京都市中京区にある、法華宗本門流の寺院。
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られる。

法華宗真門流(ほっけしゅうしんもんりゅう)

日蓮を高祖とし、日真(にちしん)を派祖とする、日蓮門下の一派である。
本隆寺(ほんりゅうじ)は、京都府京都市上京区にある、法華宗真門流の総本山。山号は慧光山。

法華宗陣門流(ほっけしゅうじんもんりゅう)

法華宗陣門流は、日蓮を宗祖(高祖)とし、日陣(にちじん)を派祖(門祖)とする、仏教の日蓮門下の一派である。
本尊は三宝尊である。
本成寺(ほんじょうじ)は、新潟県三条市にある法華宗陣門流の総本山。山号は長久山(ちょうきゅうさん)

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)

日蓮正宗は、日蓮を宗祖とし、日興(にっこう)を派祖、大石寺を総本山とする一派。
大石寺(たいせきじ)は、日蓮正宗の総本山であり、寺号の大石寺は地名の大石ヶ原(おおいしがはら)に由来する。

日蓮本宗(にちれんほんしゅう)

日蓮本宗は、日蓮を宗祖とし、富士門流の日尊(にちぞん)を派祖とする、日蓮門下の一派である。
要法寺(ようぼうじ)は、京都府京都市左京区新高倉通孫橋上ル法皇寺町にある日蓮本宗の本山。山号は、多宝富士山。

日本山妙法寺(にっぽんざんみょうほうじ)

日本山妙法寺は藤井日達ふじい にったつによって1917年に開かれた、日蓮系の宗派。
大正7年(1918)10月、中国の遼陽に最初の日本山妙法寺を建立する。
東京の日本山妙法寺多摩道場に事務局が置かれている。

日蓮宗最上教(にちれんしゅうさいじょうきょう)

日蓮宗最上教の総本山である岡山市龍泉寺(りゅうせんじ)の創建は奈良時代に報恩大師開基(かいき)によるものとされている。

その他()

単立(たんりつ)

単立は、単立宗教団体のことで、いかなる包括宗教団体の傘下にも属さない単位宗教団体のことである。